【5】経済の基本原則

5.経済原則D円安円高は米国次第

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為替相場の歴史

 さて、前回までは、経済学から見た原則を紹介してきました。

 このページは学問(理論)的なことよりも、現実の事件などが与える影響について説明します。(*^_^*)

 表題にあるとおり、為替相場は米国の思惑通りに動いてきた歴史があります。


ブレトン・ウッズ体制

 第二次世界大戦終了直前の1944年、米国ニューハンプシャー州のブレトン・ウッズで、連合国44ヶ国の代表が集まり、新たな国際通貨体制を協議しました。

 その協議で、金本位制による固定相場制が採用されました。

 また、為替相場を安定させるために、IMF(国際通貨基金)の創設も決まりました。

 固定相場制とは
 為替相場が固定されている制度の事で、日本も戦後は360円で固定されていました。

 固定相場といっても、ある一定の範囲(ブレトン・ウッズ体制では、±1%の範囲)で動くことは認められます。

 通貨の切り下げ・切り上げも、IMFの承認があれば行う事ができます。

 金本位制とは
 金の価値が、貨幣の価値の基準となる制度のことです。

 ブレトン・ウッズ体制においては、米国は1オンス=35ドルで金と交換することを約束しました。

 これによって、米国のドルを中心とした固定相場制がスタートしたのです。


ニクソン・ショック

 1971年8月、米国ニクソン大統領はドルと金の交換停止を発表しました。
 いわゆる「ニクソン・ショック」です。

 これにより、ブレトン・ウッズ体制の中核であった『金本位制による固定相場制』が崩壊したのです。

 何故、ニクソン大統領は、金本位制を止めざるを得なかったのでしょうか?

 当時の米国は、双子の赤字に悩まされていました。
   ・戦費増大(財政赤字)
   ・ヨーロッパや日本の経済発展(経常収支の赤字)

 ちなみに、
 財政赤字とは、(国の収入−国の支出)が赤字になること。

 経常収支の赤字(経常赤字)とは、貿易収支、サービス収支、所得収支、経常移転収支の合計が赤字になることです。簡単に言うと、(国内へ入ってくるお金)より(海外へ出るお金)の方が多いということ。

 さて話を戻します。

 双子の赤字に悩ませれていた米国は、米ドルの価値がどんどん下がっていきました。

 米ドルの価値が下がるというのは、金の量より、米ドルの量が増えたということ。

 こうなると、金を持っていたほうが得になるので、皆が、金を欲しがります。
 そのため、約束していた金との交換を継続する事が、困難になってしまったのです。


スミソニアン合意

 1971年(ニクソン・ショック同年)12月18日に、ワシントンのスミソニアン博物館で10ヵ国蔵相会議開かれました。

 米ドルの価値が下がっているときは、為替相場では、米ドル安にならなければなりません。

 金本位制は崩壊しましたが、固定相場制は継続されています。
 そこで、通貨の切り下げが行われ、日本円も360円から308円になりました(ドル安円高)。

 また為替の変動幅も、2.25%に拡大されました。

 しかし、スミソニアン合意も長くは続きません。

 米ドルへの信用はかなり落ち込んでいたので、米ドルは売られ続けました。

 それでも固定相場を維持するためには、各国の中央銀行が、自国通貨を増刷しドルと交換し続けなくてはなりません。
 そうなると、世の中に出回る通貨量が増えてインフレになる可能性が高くなります。

 そのため、世界各国は、スミソニアン合意で切り下げた為替相場すら維持できなくなりました。


変動相場制に移行

 1973年、世界の主要国は、変動相場制へ移行することになります。


プラザ合意

 1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテルで開かれた5ヵ国財務相・中央銀行総裁会議(G5)において、米国の貿易不均衡が議題になりました。

 米国の貿易赤字をなんとかしようと、ドル安にすることが合意されたのです。

 日・米・西独・仏・英の各国は、この合意に基づき協調介入を行いました。

 これにより、為替市場は、一時、大混乱となります。

 円相場では、240円くらいから、1年で、150円台まで円高が進みます。


円高不況とアジアの経済発展

 先のプラザ合意のせいで、日本は円高不況へ突入します。

 そこで日銀は、1986年から1987年にかけて、公定歩合を5.00%から2.50%まで引き下げます。

 また、1987年2月22日G7において、為替相場をこれ以上ドル安にしないことに合意し、日米で協調介入を行いました(ルーブル合意)。この介入は効果がなく、円高は止まりません。150円くらいから、1987年末には120円くらいまで下落していきます。

 この円高でも日本企業はなんとか生き延びねばなりません。

 そこで、人件費の安いアジア諸国へ進出していくことになります。しかも円高なので海外で工場を作る方が安く済みます。

 このときアジア諸国は外資を呼び込む政策をとっていました。
 為替相場では、ドルペッグ制を採用していました。

 ドルペッグ制は、米ドルと連動する固定相場制です。

 つまり、相場の変動はありません(少しはあるけど)から、タイのバーツを持っているのも、米ドルを持っているのも同じ事です。いつ交換しても同じ価値なのですから。

 そこで、タイの金利が米国より高ければ、どうなるでしょうか。
 当然、タイのバーツに両替して、タイの銀行にお金を預けますね。そうすれば、高い金利の利息がつくからです。アジア諸国は高金利によって外資を呼び込んだのです。

 しかもこの時は、ドル安。ドルペッグ制を取っているためアジア諸国も通貨安になります。
 よって、輸出が好調になり経済発展していくことになるのです。

 こうして、外資を呼び込むアジア諸国と円高不況脱出を図る日本企業との思惑がかみ合ったわけです。

 そこで、日本の企業がアジアに拠点を設けることでアジア諸国は景気が良くなり、日本の技術力がアジア諸国の技術力向上にも一役買うことになりました。


「強いドルは国益」

 日本はバブルが崩壊し不況へ突入していたが、円高は止まらず、1995年に79円台の史上最安値をつけました。
 ところが…。

 クリントン政権時代のルービン財務長官の「強いドルは国益」発言があり、ドル高に転換します。

 そして、この「ドル高」は、ドルペッグ制を採用していた国々に多大な影響を与えました。

 何故なら、米国はプラザ合意に始まって、今まで、「ドル安」政策をすすめてきたわけです。
 180度の政策転換です。

 ドルペッグ制をとっていた国では、こんどは「通貨高」になってしまいます。
 日本の円高不況の様な状態になるわけです。

 アジア諸国をはじめ、ドルペッグ制の国の輸出は一気に落ち込みました。

 アジア諸国では経常赤字の懸念があり、ドルペッグ製の維持に疑問がもたれるようになります。

 さらに、追い討ちをかけるようにヘッジファンドの空売りにあいます。

 これに耐え切れず、1997年、タイはドルペッグ制をやめて、変動相場制にしました。

 変動相場制になると、タイバーツは一気に下落。タイ経済は一気に不景気になってしまいました。

 このようにドルペッグ制を諦めた国は他にもでてきて、アジアの新興諸国は大変な状態になりました。これがいわゆる「アジア通貨危機」です。


まとめ

 米国は、好きなように政策を変更します。

 金本位制の崩壊で、世界の通貨は切り下げられました。
 プラザ合意で日本を円高不況に落とし(日本も参加していたが…)、
 「強いドル」政策で、ドルペッグ制の国々に多大な影響がでることを平気で行うのです。

 良くも悪くも、米国から発せられる情報は、注視していく必要があるのです。



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